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豊川市「砥鹿神社」

神社仏閣覚書

そもそも3日前の夕食を思い出すのに時間が掛かるのに、漢字がいっぱいの神社や仏閣、いくつもの呼び名を持っている神様やインドや中国伝来の偉い方々を覚えていられる自信がない。
そう威張っていう事ではないが、忘却の彼方にいってしまわないように書き留めよう、そうだ、ブログに残せばいつでも確認できるじゃない!
やる気満々だったが、それすら追いついていない…。

神社に行くようになって、古事記や日本書紀の面白さを知り、お寺さんに行くようになって我が家の菩提寺の事もよく知ることができた。
こんな言い方はよろしくないのかもしれないが、「頭の体操」にはとても良い。
そして、心も豊かになるような気がする。

歴史のある建造物に関心したり、樹齢数百年の巨木見上げて感嘆の声が出てしまったり、不意に鼻の奥がツーンとしたり、心が動く。
参道の石段を駆け上がるとは言わないまでも、今ならまだ登ることができる。
10年後20年後には難しいかもしれない、足腰が元気に動くうちに行きたいところへ行こう。
と、いうことで、9月に行った砥鹿神社。

「砥鹿神社」
三河国一之宮砥鹿神社
里宮、豊川市一宮町西垣内2
主祭神、大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命を指す)
奥宮は本宮山789m山頂に鎮座する
創建、社記では、大砲年間701年〜704年に文武天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣が派遣され、本茂山の神を迎えて里宮が創建されたとする。

701年といえば大宝律令と歴史の授業で習いましたが、覚えていません…
もっと真面目に勉強すれば良かったと思う今日この頃。
奥宮の本宮山はよいトレーニングコースと聞きます、東三河地方の中心的な孤峰で、山中には磐座、山麓には古墳群の分布があり、古代から信仰対象であったとのこと。
まだ登ったことはなく行かねばならない所としてメモメモ。

戦国時代には今川戦時徳川家康が本多信俊の救援に駆けつけ砥鹿神社に宿陣したとも伝えられている。
徳川家康、三河の地には所縁の場所が多くあり行きたいところはつきません。

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巨木に心惹かれます

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第二次世界大戦中の豊川海軍工廠の空襲時
街道沿いの鳥居には戦火の跡がそのまま残っています
世界平和と唱えてきました。







by okazu1234 | 2016-10-20 18:00 | 旅は道連れ | Comments(0)
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