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京都 その3-1「伏見稲荷」「東福寺」「泉涌寺」

京都 その3-1
今回の予定は、伏見稲荷 東福寺 泉涌寺 知積院 三十三間堂
泉涌寺塔頭 来迎院 今熊野観音

今年最後の京都旅はあいにくの雨模様
レンタサイクルは予約してあっても当日雨ならキャンセル料がかからずにやめることができます。
「当日の予約時間前の営業時間内に電話連絡を」とのことでした。
少し迷いつつも、雲の切れ間もあり、しっとり雨の京都もいいじゃないの。
ということで決行。

8:45 京都駅近くのレンタルサイクルショップ出発
9:00
伏見稲荷大社
所在地 京都市伏見区深草藪ノ内町68
主祭神 稲荷大社
御神体 稲荷山
創建 708-715年
全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社

江戸時代には商人に人気となり、結願の礼として本社に赤い鳥居を奉納する習慣が広まり千本鳥居を形成するに至る。

表参道の一番鳥居から楼門、外拝殿、内拝殿、本殿が一直線並ぶ
本殿の後ろ側に千本鳥居から続く稲荷山の神積群があり、御神体である稲荷山から連なる3つの峰の参道を歩くと七神積地に参拝ができますが、2時間程かかるとのこと。
この日は雨模様だったので、山中の参拝は次回として、千本鳥居を通り「おもかるいし」まで行きました。

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一の鳥居
鳥居をくぐり石畳の参道を少し進むと駐輪場があり無料でとめることができました。

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千本鳥居
朱の鳥居が一万本あるそうです。
あちらこちらでみなさん熱心に撮影。
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1時間ほど境内で過ごし移動する頃にはこの人出でした、人気の観光地ですね。


10:10
東福寺
所在地 京都市東山区本町十五丁目778
山号 慧日山
宗派 臨済宗東福寺派
御本尊 釈迦如来
創建 1236年
正式名 慧日山 東福禅寺
京都五山四位
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仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊(1380年)通天橋を眺める事ができる臥雲橋より写真を撮りました。
「そうだ京都へ行こう!」のポスターが撮影された場所です。
紅葉すると見事でしょうね、この日見た雨に洗われた緑色の紅葉もとても綺麗でした。

三門、本堂、方丈、庫裏などからなる主要伽藍の北側に洗玉澗があり、西から東へ、臥雲橋 通天橋 偃月橋とい3本の橋があり、この辺りは紅葉の名所。
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廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、塔頭も今なお25か寺と多くどこからどこまでが東福寺の境内なのかわからないほど広大です。

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方丈の枯山水庭園、八相の庭、南庭
東西南北に庭園があり、それぞれ趣の違う庭で見応えがありました。
庭園のある伽藍は有料ですが、通天橋を渡るのはまた別料金。
方丈拝観入口の受付にて御朱印をいただきました。


11:30
泉涌寺
所在地 京都市東山区泉涌寺山内町27
山号 東山、泉山
宗派 真言宗泉涌寺派
御本尊 釈迦如来 阿弥陀如来 弥勒如来
創建 856年(伝)
東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓広がる寺域内には、鎌倉時代から江戸時代幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺 泉涌寺」と呼ばれている。
総門から入ると参道の左右にいくつかの塔頭があり、大門をくぐると楊貴妃観音堂 仏殿 舎利殿 霊明殿 御座所 月輪陵(歴代天皇 皇室の陵墓群、宮内庁管理)

この日は「本日拝観はできません」とあり残念でしたが、改修?をされているようで仕方ありません。
御朱印はいただくことができました。

12:10
塔頭も多いのですが、境内が広大で鬱蒼とした山の中にあり道路に沿って自転車で走っていたら「来迎院」にたどり着きました。

泉涌寺塔頭 来迎院
所在地 京都市東山区泉涌寺山内町
山号 明応山
宗派 真言宗泉涌寺派
御本尊 阿弥陀如来
開創 806年(伝)空海
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森の中にあり、参拝の方もどなたもいない…ちょっと不安になりつつお詣り。
「猪に庭が荒らされています、申し訳ありません」の看板があり、足跡らしきものもあり維持管理のご苦労を思う。
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赤穂浪士の大石良雄は赤穂を退去した後、外戚にあたる当時の泉涌寺長老兼来迎院住職であった卓巖和尚頼り、来迎院の檀家となって寺請証文を受け山科に居を構え多くの時間を来迎院で過ごしたと伝えられる。
討ち入りが行われた12月14日には「大石忌」として茶会が営まれ、現在も「含翠会」の名で継続されている。
荒神は、胞衣荒神(ゆなこうじん)とも称され安産の後利益があるとされ、皇后宮安産の勅願所として信仰を集め 現在も安産を祈願する参拝客が訪れているとのことです。

一般拝観は行われておらず、重要文化財指定のある木造荒神坐像 木造護法神立像5躯などの拝観もできません。
書院とおもわれる所で御朱印をいただきました。
静かで趣のある境内はなんと言いますか、しっとりと良い雰囲気でした。


12:30
泉涌寺塔頭「観音寺」

所在地 京都市東山区泉涌寺山内町32
山号 新那智山
宗派 真言宗泉涌寺派
御本尊 十一面観音
創建 806-810年(伝)
開基 弘法大使(伝)
別称 今熊野観音寺
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森の中です、迷子になりそうでしたが、朱塗りの橋が周りの緑によく映えてたどり着くことができました。

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本堂と医聖堂
西国三十三ヶ所観音霊場の第五番札所
ぼけ封じ 近畿十楽観音霊場の第一番札所
京都泉山七福神のえびす神奉祀
洛陽三十三所観音霊場の第十九番札所
神仏霊場会の122番(京都42番)霊場

由緒沿革を読むと、弘法大使空海上人、嵯峨天皇、鳥戸野、清少納言、後白河上皇、北朝の朝廷、足利将軍家、など興味深いです。

境内は広く、お詣りの方も多くいらっしゃいました。
本堂横で御朱印をいただきました。
13:00

この後「智積院」「三十三間堂」へ向かいました。



by okazu1234 | 2017-10-21 17:57 | 旅は道連れ | Comments(0)
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